コントロールをちょっとだけ手放したら、とっても素敵なドライブになった話。
・・・
訪問先から、帰りに彼を新幹線の駅まで迎えに行くことになった。
そのまま向かうと少し時間が余りそうだったので、ちょっと遠回りして山手の方を経由するルートにした。
実は最近、自分の気にいる場所を探していて、
(緑が豊かで気持ちのいい場所。機会があればまたこの場所探しのことは別に書きたいな。)
この辺りも良いよなぁ、と体感しに行きたいと思っていたエリアの一つが、この方面。
ナビの言うまま走っていたら、
検索して気になっていたあたりをいっぱい通って♡
軽くチェックしていたカフェの前も通り、
好き、と記憶している道を走り、
公園の入り口も通り、
行きたいと思っている神社の横も通って参拝者駐車場もわかり。
葉桜にほぼなっているけど美しい桜や松の木が落ち着く道を走って。遮断機の音を聞いて、踏切を渡って。ちょっと懐かしい思い出のあるエリアも通ったり。
地道で向かうつもりだったけど、ナビの到着時間が遅くなってきたので、待たせないで着きたいなと思って、高速利用もルート候補に加えてみる。
高速を使うと時間はちょうど良さそうだったので、こちらを採用。しかも普段なら(費用対効果が低いと判断して)使わないルートをチョイスした。
市内の出口で高速を降りて駅へ向かうのだけれど、そこからの道が、どうも走ったことがない道。こんなに長く運転してきているのに。???
新鮮に町を道を楽しんだ。
普段の私なら、ナビを入れたらまず、ルートの行程の全容を把握して、ポイントをおさえて走る。道を間違えないように。
だからナビに「こっちの方が早く着きます」と途中で違う道に変更されるのは、どこを走っているかわからなくなる感じがして嫌いだったりする。
でもこの日は一切そういう感覚がなく、ナビ画面もいつものような頻度では見ない。
何せ運転中はほとんど即興で歌っていたんだし 笑
そしたら
素敵なルートでたくさんのものを見せてもらって。
道順ばかり気にしていたら感じ取れなかったものがあったかも。
インスピレーション→表現
の間に思考を挟みすぎないということについて
ちょうどサポートをもらった直後だったので
こんなに素敵をたくさん運んでくれるのか、って
これって多分(そのことと)繋がってるよなって思って嬉しかった。
その道も、そこにあるものも変わるわけじゃないんだけれど、変わるものがあるんだよね。
思考を挟みすぎない≒頭で考えすぎない≒顕在意識でコントロールしようとしすぎない
ということかな、と思う。
全然そんなつもりなかったけど、例えば移動のルートについて、私は「全工程を自分でコントロールしようとして」いたのかもしれないって。
大袈裟に聞こえるかもしれないけど、
こういうことを、他の場面でもしてたんじゃないか、っていう気づきをもらった気がしたんだ。
私はいつも結構緊張してるんだな、とも。
叶えたいことがあったら、
オーダー出したら後は宇宙にゆだねて、って
よく聞いてきたんだけれど、
力抜いてゆだねる、任せる、ってこんな感じ、って
教えてもらった気がした。
気づきって劇的なものとは限らない。
穏やかに優しく伝えてくれたりする。
「手放した方がたくさん与えられる」ということのエッセンスに少し触れた気がしたある日の話。
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